• 今あるはただ神の恵み

今度は、電車に乗って鳥栖市へ移動です。
こちらの教会の牧師は、野中宏樹先生。

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北九州市小倉でクリスチャンのお母様の影響で幼い頃から教会に通っておられた野中先生ですが、高校生の頃は、学校の先生と喧嘩して帰ってしまうなど、結構な荒れ様だったとのこと。
当時の野中青年がそうしないでは居られなかった理由。それは、社会や大人たちへの不信感からのものだったそうです。多感な思春期、中学の時にお世話になっていた方がガンで亡くなったり、高校の先輩が自死をしたりするなかで、「生きるとは・死ぬとは」と考えていた野中青年。
一方で、高校に進学してからは学校の成績が伸びず、先生たちはそのことだけで人を評価するという姿勢に、世の中への不信感が高まっていたそうです。

そして、その時に、当時通っていた教会に、田原米子さんが特別伝道礼拝で来られました。田原さんと言えば、自殺未遂をなさりそのことで瀕死の重傷を負い、手足が不自由になりながら、キリストと出会いクリスチャンとなられた方。その田原さんの証を聞き、頭がぶん殴られるような衝撃を受けたとのこと。

「この人に、こう言わしめる神は、絶対にいる!」

そこから、この信仰に賭けて生きていこうと、バプテスマを高校二年生の時に受けられたとのことです。

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「牧師になるきっかけは?」との問いに、先生は教えて下さいました。
小学校2年製の教会学校の分級の時、大きくなったら何になりたい?という問いに、ふと「牧師さんになりたい」と答えた自分が居た、と。今でもそれが何故か分からないが、その自分の答えがいつも心にひっかかっていて、そして高校生の教会キャンプの時に伝道者になる招きに応えて前に進み出ていったと。
大学を卒業してからは、あるキリスト教出版社でお働きになっていましたが、やはり「直接に、神様と人と関わりたい」と神学校へ歩みだされました。

その野中先生の牧師としての歩みを決定づける出会い。それは、出身地の北九州市小倉にありました。
それは、先生が大学生の時、在日韓国朝鮮人の指紋押捺拒否活動の指導者であった崔 昌華牧師との出会いです。その崔牧師の法廷陳述を直接聞く機会が与えられた野中先生は、その生々しい差別の歴史に衝撃を受けられたとのことです。「自分が住み暮らしてきた街で、こんな歴史があったのか。しかもその人は牧師だ」と。
翌日、崔牧師を訪ね、ご自分の思いを伝えた野中先生は、「自分はこれからどうしたらいいんでしょうか」と最後に崔牧師に尋ねました。すると崔牧師は一言、「あなたは歴史を学びなさい」と仰ったそうです。
世界史が好きだっ た野中先生。しかし、それまで自分が学んできた歴史は、年表としての歴史だったとおっしゃいます。名もない人たちが痛みを負わされてきた歴史がある。そういう声に耳を傾けることこそが、本当に歴史を学ぶことだと教えられたこと、それが野中先生にとっての牧師としてのあり方を決定づける出会いでした。

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今も、「教会とは何なのか?」を問い続けながら、伝道と牧会を続けておられる野中先生。教会を地域に開き、平日も市民活動のために出入りがあったり、あるいは、障がい者やホームレスの方、ご家庭に課題を抱えている子どもたちの居場所になっていると仰っておられます。
そのように教会を開いていく、そのご自身の「原体験」とでも言うべきものをお分かち下さいました。
それは、野中先生が幼稚園年中か年長だった時のこと。ご近所の脳性マヒの子を初めて見た時、「正直怖かった」とおっしゃいます。
「異質な存在」への恐れ。「自分は彼女を彼女のままとして受け止められなかったんです」と。そして「自分は、『正しいこと』のためにこういうことをしている訳ではないんです。その原体験、つまり『自分は罪人でしか無い』という思いが常にあって、そこに立ち返るんです。 『イエス様ごめんなさい』と。」

「教会を開くのは、中に人を呼びこむためじゃない。
教会が『出会う人たち』と出会っていったら、自ずから変わっていくはずなんです。」
この野中先生のメッセージに、私自身の信仰のあり様を考えさせられた取材でした。

取材日:2016年4月11日
※最新の情報に関しては、教会に直接お問い合わせください。

日本バプテスト連盟鳥栖キリスト教会
住所:佐賀県鳥栖市元町1255
交通案内:JR鳥栖駅より西へ徒歩約10分、スーパーサニー西側
電話:0942-82-4303
牧師:野中宏樹
集会案内
・礼拝 毎日曜日 午前10:30〜
・教会学校 毎日曜日 午前9:40〜
・聖書の学びと祈り会 毎水曜日 午前10:30〜、午後7:00〜